Thursday, August 26, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第10回 8月26日

 8月26日、学校は夏休中の登校日だった。英語教師の田中久雄は考えるところあって、自分の教え子の高校生相手に歌を聞かせた。
 新聞のニュースで、
「ジョージ・デービッド・ワイス氏が死去」
 とあったからだ。
この人は、
「好きにならずにいられない(唄エルビス・プレスリー)」
「このすばらしい世界(唄ルイ・アームストロング)」
 などの大ヒット曲の共作者である。
キーボードを引きながらこれらの唄を生徒達に聞かせると、
「すばらしい」
 と口々に言うのだった。
久雄はびっくりして、
「この二つの歌知ってんの」
 と聞くと、
「知ってますよ」
 と答えが返ってきた。
この時間は、生徒のリクエストに応じて、英語の歌を久雄はみんなに聞かせたのだった。
「久々に楽しい」
 久雄は久しぶりに楽しい時間を過ごしている事を自覚したのである。 

Wednesday, August 25, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第9回 8月25日

 アメリカにホームステイをした高校生が、久雄にしみじみとこう言うのである。
「田中先生、あなたが教えてくれていたからアメリカでなんとかなった」
 とアメリカから買ってきたお土産の人形を高校生は久雄に渡した。
「どんな苦労があったんだ」
 この久雄の言葉に、
「フロントグラス、ハンドル、バックネット、デッドボール、これらが和製英語である事を、田中先生に習って知っていたので知っていたので何とかなりました。他の高校生は分からずに右往左往していましたよ、先生本当にありがとう御座いました」
 この高校生が、久雄の事をこう言ってひどく持ち上げるので、
「田中久雄先生はすごい」
 と評判になっていった。
だが、久雄の苦悩は収まるどころか、増す一方だった。
「抜本的な英語教育の改善が必要だ」
 いつも心にうずまいているこの思いを自分に言い聞かすように言うのである。

Tuesday, August 24, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第8回 8月24日

"go, note, open, boat,"
この発音がすべてできる高校生はごくわずかという結果を見て、久雄はため息をついた。
「日本の英語教育はまだまだ改善の余地がある」
 天を見上げて自分自身に言い聞かすように、久雄はつぶやくのだった。
「これらの単語はすべて"ou"と折れる発音だ。o:ではない。中学校の時に徹底的にやっておかないと」
 苦労するのが英語を習っている本人である事は、久雄が一番よく知っていた。
「久雄はアメリカに行った時、自分の発音の至らなさをいやというほど味わったからである」
 久雄はまた自分自身に言い聞かすようにこう言った。
「何とかしないと・・・・・・」
 ただ、こんな思いも久雄の心の中にはあったのである。
「私ばかり頑張ってもどうしようもない、給料が上がるわけでもない。地位が上がるわけでもない」
 さりとて、久雄は目の前の英語教育の窮状を放っておくつもりはなかった。
「何とかしないと」
 久雄のこの気持ばかりが、空回りしたのである。

Monday, August 23, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第7回 8月23日

「先生、ひとつ教えていただきたい事があるのですが」
「なんだい」
 このやり取りの後、ある英語に熱心な生徒がこう質問してきたのである。
「先生、"golf"と"gulf"の発音の違いについて教えてください」
 久雄は何度もこれらの単語を発音して聞かせたが、生徒達は首をひねるばかりだった。
「これでお願いします」
 生徒が久雄にまた尋ねた。
「"Play golf"と"The gulf of Mexico"を発音してください」
 熱心に食い下がる。
久雄が何度発音しても生徒達は首をひねるばかりだった。無理もない、日本語にはない発音なのだから。
「恐らくこの両方の単語を使い分けるのが、一番難しいだろう」
 と久雄が生徒達に言うと、生徒達は黙ってうなずくのだった。
授業が終わって職員室に帰り、お茶を飲みながら久雄は自分に言い聞かすようにこう言ったのである。
「英語を真剣に教えるのは難しい」
 久雄の苦悩は続く。

Sunday, August 22, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第6回 8月22日

「先生、英語で映画はmovieですよね。・・・・・・・・・・・」
 久雄が教えている高校の生徒が、こう言って質問していた。
「そうだよ、何か・・・・・・」
 久雄が怪訝そうな顔をして聞き返した。
「先生、アメリカ人にmovieと言っても通じなかったのですよ」
 と高校生が不思議そうな顔をして、久雄に言葉を続けた。
「ちょっと発音してみて」
 久雄が高校生にmovieを発音してみるように促した。高校生は自信を持って、
「ムービーと言ったが、それはmovieではなく、mobieと言っていた」
 久雄が、
「それでは通じない」
 と高校生に言って聞かすと、高校生は怒ったように顔をゆがめて、
「なぜ・・・・・・・・」
 と言葉を返した。
「あのな、君はmovieのvの発音がbになっている。それではだめなんだ。riverと言ってごらん」
 高校生は必死で、
「リバー・・・」
 と言ったがやっぱり、
「vの発音」
 が出来ていなかった。
「むずかしいよなあ、日本語にはない発音だから」
 と久雄が高校生に言うと高校生は、
「ほんとです。初めて教えてもらいました。先生に聞いてよかった」
 と久雄に感謝するのだった。

Saturday, August 21, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第5回 8月21日

 久雄は英語教師の研修会で、"birthday"の発音をしっかしと徹底する事を提案したのだった。
この単語の発音は、簡単そうで日本人にとって簡単ではないのである。多くの英語教師が、久雄の提案に賛成をしてくれたのだった。
 だが、英語教師とて実際にやってみると、
「正確に発音できる教師はごくわずかだった」
 ほとんどの英語教師は、
「あまりに正確に教え込んでも、生徒がついてこない」
 と苦しい言い訳をしていた。
「英語は英語だ、正しい発音を教えないと」
 久雄はこう主張したかったが、あまりにも正義を主張して孤立しても特にならない思い、これ以上の主張を避けたのだった。
 その日、知り合いのアメリカ人に誕生日の人がいて、"Happy birthday"と言うときれいな発音で、同じ単語が返って来た。
「英語は英語だ、日本ではない」
 自分に言い聞かすように久雄はつぶやいた。

Friday, August 20, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第4回 8月20日

 久雄は生徒達にスタンダードの名曲
"It's a sin to tell a lie."(嘘は罪)
 を唄って聞かせた。
生徒達はこの曲を知っていて吹奏楽部の生徒達が、
「先生、良かったら伴奏をさせてください」
 と言ったのである。
英語の授業が久雄のミニコンサートになったのだった。
 久雄が、
"It's been a long long time."(ひさしぶりね)
 を唄うと生徒達の興奮は最高潮に達した。
久雄は、
「みんなこの歌はね、長い時間キスをしてくれといっているんじゃないよ。ずいぶんお久しぶりねと言っているんだよ」
 と言うと、
「分かっている、分かっている」
 と言葉を返してきた。
楽しいひと時だった。
 授業の最後に、
「ところで君達、sinとthinの発音の違いを実際に使い分けられるか」
 と聞くと、英語好きの生徒達が次々とチャレンジしたが、
「アメリカで暮らした事のある生徒以外は、やはり誰一人この二つの単語を使い分ける事が出来なかった」
 久雄は苦笑しながら、
「僕のやらなければいけないことは数多い」
 と自分に言い聞かすのだった。

Thursday, August 19, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第3回 8月19日

 英語教師の田中久雄は、自分の英語の発音の能力を落とさない為に、
「AFN放送(米軍放送)」
 を聞いていた。
ある時ディスク・ジョッキーが、その放送の中で、
「日本人はピンクをピンクウと言うよ。(アメリカ人が聞いたらpinkは完璧にpinkuに聞こえる)」
 と言っていた。
久雄はこれを聞いて、
「フー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 とため息をつくのだった。
「おれのせいじゃないよな。おれのせいじゃない」
 と自分を慰めるようにこう言ったのである。
アメリカ人にしても、日本人のこの発音を聞くと辛いのである。
「慣れればどうと言う事はないが、それまでが大変である」
 久雄はアメリカのプロ野球の球団が日本に来た時、通訳をしたが、アメリカの選手は日本人の発音
「ストライクウ、ボウルウ・・・・・・等々」
 に相当にとまどっていた。
「とても、strike,ball・・・・・・・・」
 には聞こえないのである。
「せめて日本の英語教師がきちっと発音する事ができたなら」
 いつも久雄にはこの思いがあったが、現実は厳しくどうする事もできなかった。
「おれのせじゃない」
 と言って、作り笑いを浮かべるのが久雄に唯一できる事だった。

Wednesday, August 18, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第2回 8月18日

「田中先生(久雄)コーヒーでも飲もうよ」
 久雄の先輩の英語教師、岡本が久雄にこう言葉をかけた。
「分かりました」
 久雄は岡本に言葉を返したが、心の中で岡本にこう叫んでいた。
「英語教師がなんて発音をするんだ。コーヒーと言ったら、cohheeだろうが。coffeeはcoffeeでせめてコーフィーと発音して欲しい」
 日本人の多くはcoffeeをコーヒーと言う。だが、実際ネイティブ・スピーカーズの発音を聞いていると、確実に、
「コーフィー」
 と発音している。
「せめてcoffeeくらい・・・・・・・・」
 心の底で久雄は激しくこう思ったが、先輩の英語教師にそれを口に出して言う事は出来なかった。
「波風を立てて、嫌われたくなかった」
 この思いが強かったのである。
「こんな発音でアメリカやイギリスで暮らして行けると思ったら大間違いだ」
 久雄は遠くを見つめ、
「何でおれは英語教師になったんだろう」
 またこう自問自答するのだった。
「英語が好きなんだろう、こんな苦労がある事を承知で英語教師になったんだろう」
 自分にこう言い聞かす以外に、久雄に出来る事はなかったのである。 

Tuesday, August 17, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第1回 8月17日

「セカンドはホースアウト」
 テレビの野球中継でアナウンサーが叫んでいた。
「日本語として聞いておこう」
 久雄は自分にこう必死で言い聞かせた。
「しようがない日本では英語教師でさえ、horseとforceの発音の区別が出来ない者がいる。テレビのアナウンサーに正確な発音を期待する事が無理なのだ」
 久雄は自虐の笑いを浮かべるのだった。アメリカに留学していた時、
「日本じゃあ、force outをhorse outと言うんだぜ」
 と友人から、からかわれた事があるからである。久雄は反論する事ができなかった。
「実際にforce outをhorse outと言っているからである」
 アメリカ人の友人は、
「恐らく日本では、セカンドベースに一生懸命馬のように走るからhorse outと言うんだろう」
 と言うのである。
このアメリカ人は日本の中学高校を出ていて日本の事情を知っていて、こう言っているのである。彼は日本のパズルのような日本の受験英語にノイローゼになるほど悩まされたからである。
「発音が全くでたらめな英語教師が、難解な英語のテキストで講義をするのである」
 理解しろと言うほうが無理であった。
このアメリカ人、ある時日本人の英語教師にこう言われたそうである。
「アメリカ人は出来が悪い。ちょっと高度な文法になると理解が出来ない」
 こんな風に。
この時以来、このアメリカ人は日本人を嫌いになり距離を置くようになっていた。アメリカに帰り日本人を見つけると、辛く当たるのだった。
 久雄は辛く当たられても返す言葉がなかった。
「日本の英語教育の現状はこのアメリカ人の言うとおりだったからである」
 久雄はそれでも自分の思いを捨てなかった。
「いつかおれが日本の英語教育を立て直す」
 この強い思いがあったのである。