田中明治と森田真理は広島市安芸区矢野に住んでいた。矢野といっても明治は江戸時代の安芸郡矢野村、真理は安芸郡大井村である。
「二人は小学校の頃から大の仲良しであったが、この田中家と森田家は江戸時代から仲の悪い家同士だった」
人々は顔をあわすとこう言っていた。
「ロミオとジュリエットのようにならなければいいが」
二人はまるでシィクスピアの四代悲劇、
「ロミオとジュリエットのような毎日を送っていたのだ」
高校二年生の二人は、
「あるときは呉市の戦艦大和を作ったドッグが見渡せる休山、そしてまたある時は広島の比治山」
逢瀬を重ねた。
ある土曜日、真理が明治に言った。
「こんな生活もういや、あなたとこの矢野で逢いたい」
この真理の言葉に明治は、
「この矢野では会う場所が無い。すくお互いの両親にばれてしまう」
顔を曇らせて真理に答えた。
真理は引き下がらない。
「矢野の墓場の中にある、焼き場跡で逢いましょう」
あえぐようにこう明治に言うと、
「焼き場・・・・・・・・・」
明治は言葉を濁す。
「私を好きならこの申し出受け入れて」
真理は食い下がる。
暫く考えた後、明治は、
「分かった」
と真理に言葉を返した。そして、
「あなたの私の合言葉、矢野の焼き場で逢いましょう」
と自虐的に笑うのだった。
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