Sunday, November 21, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第13回

 2010年11月広島市安芸区矢野において、歴史的和解が成立したのだった。
「旧安芸郡矢野村の田中家と旧安芸郡大井村の森田家が正式に和解したのである」
 矢野の主だった人を集めて宴会が開かれた。
「その中には当然、メイジとマリも列席していた」
 田中家と森田家の人々が交互に座り杯を酌み交わしたのだった。
「四百年のイザコザが解消しようとしているのだった」
 矢野の人々も大喜びである。
「四百年もの間、あっちを立てればこっちが立たず」
 の生活をしていたのだから。
「今からはそれが無いのである」
 喜ばずにはおれなかった。
田中家と森田家はお互いの当主が、
「今からは親類としての関係を保って行こう」
 こう誓い合うのだった。
                                  この物語は今回で終了しました。

(この物語はフィクションです)

Saturday, November 20, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第12回

 ある週末に地元の大学の歴史の先生が広島市安芸区矢野の公民館に来て話をした。
「その場所には、旧矢野村の田中家の人達と旧大井村の森田家の人達もいた」
 古田教授は話を始めた。
「私の研究によりますと、田中家と森田家は五百年前に同じ先祖につながって行きます」
 この言葉に、会場からどよめきがあがった。
「本当ですか・・・・」
 口々にこの言葉が発せられた。
「本当も嘘も無い、これを見れば分かる」
 と教授は古文書を見せたのだった。
「確かに田中家と森田家がつながっている」
 そして江戸時代の初期に、
「水の権利をめぐって兄弟で喧嘩になり、弟が大井村で森田家を起したのだった」
 人々のどよめきは納まらなかった。
教授は話が終わると何事も無かったように澄まし込んだ顔をして帰って行った。
 人々のどよめきはまだ納まらない。
              (この物語はフィクションです)

Thursday, November 18, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第11回

 江戸時代、安芸郡の矢野村の庄屋は田中家で、大井村の庄屋は森田家だった。
「この両家、戦国時代に毛利元就に矢野が滅ぼされた後、お互いの弱腰をなじって争うようになったのである」
 だからもう四百年以上になる。
「田中家のメイジと森田家のマリが恋に落ちたからといって、四百年以上いがみ合ってきた両家が和解して仲良くなるはずも無かった」
 それどころか、
「亀裂は益々広がったのである」
 矢野の人々は、
「この両家が仲良くしてくれる事を願っていたが、何しろ力のある両家である」
 表立ってどうこう言うわけには行かなかった。
「沈黙は金なり」
 ひたすらこれを守っていたのである。
メイジとまりは顔を見合わせてため息をつくのだった。
(この物語はフィクションです)      

Wednesday, November 17, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第10回

 メイジの父親とマリの父親は、あのメイジとマリが密会している矢野の墓地で、元焼き場で激しく言い争っていた。二人の争いは終わらない。
「うちの息子をたらしこむな」
 ものすごい剣幕でメイジの父親がマリの父親に怒鳴った。
「たらしこんだのはどっちだい」
 マリの父親も負けてはいない。
「うちの息子に会ってくれるな」
「ちょっかいを出しているのは、お前の息子のほうだろう」
 会話は平行線に次ぐ平行線である。
無理も無い。
「江戸時代から平行線に次ぐ、平行線だったのだから」
 いやそんな簡単なものではない。
「ちょっとした戦の様相を呈していたのだ」
 この両家の争いは続く。
メイジとマリは、生きた心地がしなかった。 

Tuesday, November 16, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第9回

 矢野駅(広島市安芸区矢野JR呉線矢野駅)の前の道でメイジの父親とマリの父親が大喧嘩となった。
 回りの人々が仲裁に入ったが、納まらない。それどころかつかみ合いになり警察が出動する騒ぎとなってしまった。
 おまわりさんが必死で、
「お互い大人なんだから」
 と両者をなだめている。
昔からの人が、
「また、矢野名物が始まった」
 とため息をついた。
「ほんとだ、まるでロミオとジュリエットの一場面を見ているようだ」
 と違う人が言った。
「江戸時代からこの両家はこうやって派手にけんかをしてきたのであった」
 矢野の一つの名物となっていた。

Monday, November 15, 2010

小説あなたと私の合言葉 第8回

 メイジは生まれて初めて父親に逆らった。
「マリちゃんとの交際を許してくれないのなら家を出る」
 大声でこう言った。
「マリってあの大井の森田の娘か」
 父親はびっくりしたようにこう言った。
「そうだよ、それがどうした」
 メイジも凄い剣幕である。
「この罰当たりが・・・・・・」
 父親はこう言うなり黙ってしまった。
「交際を許してくれる」
 このメイジの言葉に父親は、
「絶対に許さん」
 こう言うのだった。
「僕には僕の人生がある」
「だめだ」
 二人の言葉は平行線をたどった。

Sunday, November 14, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第7回

「最近やけに大井で見かけると知り合いの人が言うが、メイジ何をしに大井に行くんだ」
 メイジの父親がメイジに強い口調でこう聞いた。
「高校の友達に会いに行っている」
 このメイジの言葉に、
「間違っても、森田の家には行くなよ」
 父親は激しい口調でこう言った。
「なぜ・・・・・・・」
 メイジも強い口調で言い返すと、
「あほう、矢野村の田中の家の息子が、大井村の森田の家の者にへらへらしたとなると矢野中で物笑いとなる」
 父親の言葉に、
「何が矢野村だ、何が大井村だ。何が笑いものだ」
 メイジは生まれて初めて父親に逆らった。
父親はこのメイジの言葉に、
「この野郎」
 と言うなり、鉄建制裁を加えたのだった。 

syousetu

あなたと私の合言葉! 第6回

 メイジとマリは広島市安芸区矢野にある、姫宮という神社にいた。
「二人がどうか末永く一緒におれますように」
 という願をかけに通っているのである。
「姫宮様なら分かってくれるはず」
 マリが姫宮様に呟いた。
「そうです、姫宮様は天照大神のお姉さまにあたる速秋津日女(はやあきつひめ)におわしますので。私達の願いを叶えてくださる筈」
 メイジもうやうやしく言うのだった。
「二人は必死なのである」
 江戸時代から仲の悪い家の子供として生まれ、恋愛関係に陥った二人の当然と言えば当然の成り行きである。
「姫宮様、毎日通って来ますので」
 二人はこう言って祈願するのだった。

Friday, November 12, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第5回

「あなた無しでの生活なんて考えられない」
 マリはあえぐようにこう言った。
「親に交際の許しを得よう」
 メイジはマリにこう言った。
「駄目よ反対するに決まっている」
 こうマリに言われると、メイジも返す言葉が無かった。
「うーん・・・・・・・」
 こう言うとメイジは黙ってしまった。
「まず、二人の愛を確かな物にしましょう」
 マリのこの言葉に、
「そうだなあ」
 メイジは苦悶の表情を浮かべ言葉を返すのだった。
「お互いの家が仲が良ければ、こんなに夜中に元焼き場で現在は墓地になっているような場所で密会しなくても済む事なのである」
 メイジは、
「こん畜生」
 はき捨てるように言葉を吐いた。
「そんな事言わないで」
 マリは必死でメイジをなだめるのだった。

Thursday, November 11, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第4回

「メイジ君、私を抱いて」
 マりはいつもの逢瀬の場所、矢野の昔の焼き場跡、墓地でこうメイジに迫った。
「焦るなよ」
 メイジはマリの心を落ち着けようとしたが、そうしようとすればするほどマリは興奮してメイジに迫ってくるのだった。
「大好き、メイジ君。ああ、メイジ君・・・・」
 マリはこう言ってメイジにむしゃぶりついた。
「ふー・・・・・」
 メイジが大きく息を吸った。
「キスして・・・・・・・・」
 マリの情熱は爆発している。
メイジはマリの髪を撫で首筋に唇を当てた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、」
 マリは激しく喘ぐのだった。

Wednesday, November 10, 2010

小説 あなたと私の合言葉 第3回

「おれ達の愛は許されない愛だろうか」
 メイジは広島市安芸区矢野の山の上にある墓地でマリと逢っていた。
「許すも許さないも、あなたと私の問題でしょう。何の問題があるの」
 マリはメイジにこう言い返した。
「しかし、おれ達の家は江戸時代から仲が悪いからなあ」
 メイジは苦汁の表情を浮かべ、自分に言いきかせるようにこう言うのだった。
「関係ない」
 マリは強い口調でこう言った。
「マリはどんな事があってもおれについてくるか」
 このメイジの言葉に、マリは、
「ええ」
 ときっぱりと言った。
「大学生になったら、広島市か呉市に住もうか」
 メイジの言葉に、
「ええそうしましょう。ここにはおれないかも」
 マリは本音をメイジに返すのだった。 

小説 あなたと私の合言葉! 第2回

「ああ、メイジ君好きよ」
 マリは激しくメイジに言い寄った。
場所は、広島市安芸区矢野の山のふもとにある、墓地である。
「昔、焼き場のあった場所」
 なのだ。
しかし、燃え上がっている彼等にはそんな事は眼中になかった。
「誰にも邪魔をされない愛の巣」
 になっていたのである。
マリは激しく燃え上がっていた。メイジの口を激しく吸って、舌を絡ませるのだった。
 メイジはマリの愛の攻撃にたじたじになりながらも、
「ああ、マリ」
 と言葉を返すと、マリは一層興奮して、
「うれしい・・・・・」
 こう絶叫してメイジにむしゃぶりつくのだった。
  

Tuesday, November 9, 2010

小説 あなたと私の合言葉! 第一回

 田中明治と森田真理は広島市安芸区矢野に住んでいた。矢野といっても明治は江戸時代の安芸郡矢野村、真理は安芸郡大井村である。
「二人は小学校の頃から大の仲良しであったが、この田中家と森田家は江戸時代から仲の悪い家同士だった」
 人々は顔をあわすとこう言っていた。
「ロミオとジュリエットのようにならなければいいが」
 二人はまるでシィクスピアの四代悲劇、
「ロミオとジュリエットのような毎日を送っていたのだ」
 高校二年生の二人は、
「あるときは呉市の戦艦大和を作ったドッグが見渡せる休山、そしてまたある時は広島の比治山」
 逢瀬を重ねた。
ある土曜日、真理が明治に言った。
「こんな生活もういや、あなたとこの矢野で逢いたい」
 この真理の言葉に明治は、
「この矢野では会う場所が無い。すくお互いの両親にばれてしまう」
 顔を曇らせて真理に答えた。
真理は引き下がらない。
「矢野の墓場の中にある、焼き場跡で逢いましょう」
 あえぐようにこう明治に言うと、
「焼き場・・・・・・・・・」
 明治は言葉を濁す。
「私を好きならこの申し出受け入れて」
 真理は食い下がる。
暫く考えた後、明治は、
「分かった」
 と真理に言葉を返した。そして、
「あなたの私の合言葉、矢野の焼き場で逢いましょう」
 と自虐的に笑うのだった。 

Thursday, August 26, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第10回 8月26日

 8月26日、学校は夏休中の登校日だった。英語教師の田中久雄は考えるところあって、自分の教え子の高校生相手に歌を聞かせた。
 新聞のニュースで、
「ジョージ・デービッド・ワイス氏が死去」
 とあったからだ。
この人は、
「好きにならずにいられない(唄エルビス・プレスリー)」
「このすばらしい世界(唄ルイ・アームストロング)」
 などの大ヒット曲の共作者である。
キーボードを引きながらこれらの唄を生徒達に聞かせると、
「すばらしい」
 と口々に言うのだった。
久雄はびっくりして、
「この二つの歌知ってんの」
 と聞くと、
「知ってますよ」
 と答えが返ってきた。
この時間は、生徒のリクエストに応じて、英語の歌を久雄はみんなに聞かせたのだった。
「久々に楽しい」
 久雄は久しぶりに楽しい時間を過ごしている事を自覚したのである。 

Wednesday, August 25, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第9回 8月25日

 アメリカにホームステイをした高校生が、久雄にしみじみとこう言うのである。
「田中先生、あなたが教えてくれていたからアメリカでなんとかなった」
 とアメリカから買ってきたお土産の人形を高校生は久雄に渡した。
「どんな苦労があったんだ」
 この久雄の言葉に、
「フロントグラス、ハンドル、バックネット、デッドボール、これらが和製英語である事を、田中先生に習って知っていたので知っていたので何とかなりました。他の高校生は分からずに右往左往していましたよ、先生本当にありがとう御座いました」
 この高校生が、久雄の事をこう言ってひどく持ち上げるので、
「田中久雄先生はすごい」
 と評判になっていった。
だが、久雄の苦悩は収まるどころか、増す一方だった。
「抜本的な英語教育の改善が必要だ」
 いつも心にうずまいているこの思いを自分に言い聞かすように言うのである。

Tuesday, August 24, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第8回 8月24日

"go, note, open, boat,"
この発音がすべてできる高校生はごくわずかという結果を見て、久雄はため息をついた。
「日本の英語教育はまだまだ改善の余地がある」
 天を見上げて自分自身に言い聞かすように、久雄はつぶやくのだった。
「これらの単語はすべて"ou"と折れる発音だ。o:ではない。中学校の時に徹底的にやっておかないと」
 苦労するのが英語を習っている本人である事は、久雄が一番よく知っていた。
「久雄はアメリカに行った時、自分の発音の至らなさをいやというほど味わったからである」
 久雄はまた自分自身に言い聞かすようにこう言った。
「何とかしないと・・・・・・」
 ただ、こんな思いも久雄の心の中にはあったのである。
「私ばかり頑張ってもどうしようもない、給料が上がるわけでもない。地位が上がるわけでもない」
 さりとて、久雄は目の前の英語教育の窮状を放っておくつもりはなかった。
「何とかしないと」
 久雄のこの気持ばかりが、空回りしたのである。

Monday, August 23, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第7回 8月23日

「先生、ひとつ教えていただきたい事があるのですが」
「なんだい」
 このやり取りの後、ある英語に熱心な生徒がこう質問してきたのである。
「先生、"golf"と"gulf"の発音の違いについて教えてください」
 久雄は何度もこれらの単語を発音して聞かせたが、生徒達は首をひねるばかりだった。
「これでお願いします」
 生徒が久雄にまた尋ねた。
「"Play golf"と"The gulf of Mexico"を発音してください」
 熱心に食い下がる。
久雄が何度発音しても生徒達は首をひねるばかりだった。無理もない、日本語にはない発音なのだから。
「恐らくこの両方の単語を使い分けるのが、一番難しいだろう」
 と久雄が生徒達に言うと、生徒達は黙ってうなずくのだった。
授業が終わって職員室に帰り、お茶を飲みながら久雄は自分に言い聞かすようにこう言ったのである。
「英語を真剣に教えるのは難しい」
 久雄の苦悩は続く。

Sunday, August 22, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第6回 8月22日

「先生、英語で映画はmovieですよね。・・・・・・・・・・・」
 久雄が教えている高校の生徒が、こう言って質問していた。
「そうだよ、何か・・・・・・」
 久雄が怪訝そうな顔をして聞き返した。
「先生、アメリカ人にmovieと言っても通じなかったのですよ」
 と高校生が不思議そうな顔をして、久雄に言葉を続けた。
「ちょっと発音してみて」
 久雄が高校生にmovieを発音してみるように促した。高校生は自信を持って、
「ムービーと言ったが、それはmovieではなく、mobieと言っていた」
 久雄が、
「それでは通じない」
 と高校生に言って聞かすと、高校生は怒ったように顔をゆがめて、
「なぜ・・・・・・・・」
 と言葉を返した。
「あのな、君はmovieのvの発音がbになっている。それではだめなんだ。riverと言ってごらん」
 高校生は必死で、
「リバー・・・」
 と言ったがやっぱり、
「vの発音」
 が出来ていなかった。
「むずかしいよなあ、日本語にはない発音だから」
 と久雄が高校生に言うと高校生は、
「ほんとです。初めて教えてもらいました。先生に聞いてよかった」
 と久雄に感謝するのだった。

Saturday, August 21, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第5回 8月21日

 久雄は英語教師の研修会で、"birthday"の発音をしっかしと徹底する事を提案したのだった。
この単語の発音は、簡単そうで日本人にとって簡単ではないのである。多くの英語教師が、久雄の提案に賛成をしてくれたのだった。
 だが、英語教師とて実際にやってみると、
「正確に発音できる教師はごくわずかだった」
 ほとんどの英語教師は、
「あまりに正確に教え込んでも、生徒がついてこない」
 と苦しい言い訳をしていた。
「英語は英語だ、正しい発音を教えないと」
 久雄はこう主張したかったが、あまりにも正義を主張して孤立しても特にならない思い、これ以上の主張を避けたのだった。
 その日、知り合いのアメリカ人に誕生日の人がいて、"Happy birthday"と言うときれいな発音で、同じ単語が返って来た。
「英語は英語だ、日本ではない」
 自分に言い聞かすように久雄はつぶやいた。

Friday, August 20, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第4回 8月20日

 久雄は生徒達にスタンダードの名曲
"It's a sin to tell a lie."(嘘は罪)
 を唄って聞かせた。
生徒達はこの曲を知っていて吹奏楽部の生徒達が、
「先生、良かったら伴奏をさせてください」
 と言ったのである。
英語の授業が久雄のミニコンサートになったのだった。
 久雄が、
"It's been a long long time."(ひさしぶりね)
 を唄うと生徒達の興奮は最高潮に達した。
久雄は、
「みんなこの歌はね、長い時間キスをしてくれといっているんじゃないよ。ずいぶんお久しぶりねと言っているんだよ」
 と言うと、
「分かっている、分かっている」
 と言葉を返してきた。
楽しいひと時だった。
 授業の最後に、
「ところで君達、sinとthinの発音の違いを実際に使い分けられるか」
 と聞くと、英語好きの生徒達が次々とチャレンジしたが、
「アメリカで暮らした事のある生徒以外は、やはり誰一人この二つの単語を使い分ける事が出来なかった」
 久雄は苦笑しながら、
「僕のやらなければいけないことは数多い」
 と自分に言い聞かすのだった。

Thursday, August 19, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第3回 8月19日

 英語教師の田中久雄は、自分の英語の発音の能力を落とさない為に、
「AFN放送(米軍放送)」
 を聞いていた。
ある時ディスク・ジョッキーが、その放送の中で、
「日本人はピンクをピンクウと言うよ。(アメリカ人が聞いたらpinkは完璧にpinkuに聞こえる)」
 と言っていた。
久雄はこれを聞いて、
「フー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 とため息をつくのだった。
「おれのせいじゃないよな。おれのせいじゃない」
 と自分を慰めるようにこう言ったのである。
アメリカ人にしても、日本人のこの発音を聞くと辛いのである。
「慣れればどうと言う事はないが、それまでが大変である」
 久雄はアメリカのプロ野球の球団が日本に来た時、通訳をしたが、アメリカの選手は日本人の発音
「ストライクウ、ボウルウ・・・・・・等々」
 に相当にとまどっていた。
「とても、strike,ball・・・・・・・・」
 には聞こえないのである。
「せめて日本の英語教師がきちっと発音する事ができたなら」
 いつも久雄にはこの思いがあったが、現実は厳しくどうする事もできなかった。
「おれのせじゃない」
 と言って、作り笑いを浮かべるのが久雄に唯一できる事だった。

Wednesday, August 18, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第2回 8月18日

「田中先生(久雄)コーヒーでも飲もうよ」
 久雄の先輩の英語教師、岡本が久雄にこう言葉をかけた。
「分かりました」
 久雄は岡本に言葉を返したが、心の中で岡本にこう叫んでいた。
「英語教師がなんて発音をするんだ。コーヒーと言ったら、cohheeだろうが。coffeeはcoffeeでせめてコーフィーと発音して欲しい」
 日本人の多くはcoffeeをコーヒーと言う。だが、実際ネイティブ・スピーカーズの発音を聞いていると、確実に、
「コーフィー」
 と発音している。
「せめてcoffeeくらい・・・・・・・・」
 心の底で久雄は激しくこう思ったが、先輩の英語教師にそれを口に出して言う事は出来なかった。
「波風を立てて、嫌われたくなかった」
 この思いが強かったのである。
「こんな発音でアメリカやイギリスで暮らして行けると思ったら大間違いだ」
 久雄は遠くを見つめ、
「何でおれは英語教師になったんだろう」
 またこう自問自答するのだった。
「英語が好きなんだろう、こんな苦労がある事を承知で英語教師になったんだろう」
 自分にこう言い聞かす以外に、久雄に出来る事はなかったのである。 

Tuesday, August 17, 2010

英語教師、久雄の苦悩 第1回 8月17日

「セカンドはホースアウト」
 テレビの野球中継でアナウンサーが叫んでいた。
「日本語として聞いておこう」
 久雄は自分にこう必死で言い聞かせた。
「しようがない日本では英語教師でさえ、horseとforceの発音の区別が出来ない者がいる。テレビのアナウンサーに正確な発音を期待する事が無理なのだ」
 久雄は自虐の笑いを浮かべるのだった。アメリカに留学していた時、
「日本じゃあ、force outをhorse outと言うんだぜ」
 と友人から、からかわれた事があるからである。久雄は反論する事ができなかった。
「実際にforce outをhorse outと言っているからである」
 アメリカ人の友人は、
「恐らく日本では、セカンドベースに一生懸命馬のように走るからhorse outと言うんだろう」
 と言うのである。
このアメリカ人は日本の中学高校を出ていて日本の事情を知っていて、こう言っているのである。彼は日本のパズルのような日本の受験英語にノイローゼになるほど悩まされたからである。
「発音が全くでたらめな英語教師が、難解な英語のテキストで講義をするのである」
 理解しろと言うほうが無理であった。
このアメリカ人、ある時日本人の英語教師にこう言われたそうである。
「アメリカ人は出来が悪い。ちょっと高度な文法になると理解が出来ない」
 こんな風に。
この時以来、このアメリカ人は日本人を嫌いになり距離を置くようになっていた。アメリカに帰り日本人を見つけると、辛く当たるのだった。
 久雄は辛く当たられても返す言葉がなかった。
「日本の英語教育の現状はこのアメリカ人の言うとおりだったからである」
 久雄はそれでも自分の思いを捨てなかった。
「いつかおれが日本の英語教育を立て直す」
 この強い思いがあったのである。 

Tuesday, March 23, 2010

二宮正治:小説 キャシーは私が好きだとその昔に言った。

 広島にアメリカから中年の英語教師が来た。私はもし彼女が日本語が出来なくて困ってはいけないと思い、新任の英語教師パーティーに出かけた。
「キャシーか、懐かしい名前だ」
 こう思いながら、セイジは挨拶をしにキャシーに近寄った。
「ナイス・トゥー・ミーチュー(お会いできてうれしいです)」
 私は顔を見て驚いた。若き日のセイジのガールフレンド、キャーシー・ウイリアムズだったからである。キャシーもセイジを見て、驚いたように、
「オウ、セイジ、ハウ・アー・ユー(ご機嫌いかが)」
 と言葉を返した。
「ああ、やっぱりキャシーだったか」
 セイジは懐かしさがこみ上げてきた。そして、雪の降る日に悲しく別れた日の記憶が蘇ってきたのである。
「もう三十年前か・・・・・・・」
 セイジは感慨深かった。
「あっという間に時が過ぎてしまった」
 セイジはキャシーに、
「You, still young.(君はいまだに若い)」
 と言うと、キャシーは、
「You,too.(あなたも)」
 と微笑みながら言葉を返してきた。
「thank you.(ありがとう)」
 二人の間に昔のタイミングが早くも戻ってきたのだった。

Saturday, February 20, 2010

今日2月20日のAFN放送より

 今日のAFN(米軍)放送によると、
「あのタイガーウッズが久しぶりに公式の場にでて謝罪した」
 こう伝えていた。
実際のところこの事件の真相はどうなっているのだろう。
「藪の中」
 である。
もう一つ、
「トヨタのカローラのハンドルの問題」
 これ連日のように伝えていますよ。
「対応を誤るととんでもない事になりますよ」
 関係者はアメリカのマスコミの反応を分析して、
「迅速なアメリカの人々が納得する対応」
 をお願いする次第である。

Tuesday, February 9, 2010

小説 五十六歳の青春 第9回

 由香里は少年との愛の交わりで一時的には寂しさを紛らわす事はできた。だが、一人になるとまた、
「恐ろしいまでの孤独」
 が襲ってくるのだった。
「ああ、残りの人生を二人三脚で歩いてくれる男性が欲しい」
 心の底から由香里はこう思うのである。
回りの人も心配して再婚を勧めてくれるのだが、相手はみな六十五歳を越した男性であった。顔色を変えると、
「あなたは今年五十七歳でしょう」
 と露骨に嫌な顔をされた。
「私は昭和二十八年の生まれ、戦前生まれの男性とは話は合わない」
 回りの人に本音をこう吐露するのだが、聞いてくれる人はいなかった。それどころか、
「鏡を見ろ」
 と露骨にイヤミを言う人もいたのである。由香里がもっとも情けなかったのは、
「自分の同年輩の男性が自分の事をゾンビでも見るような目つきで見る」
 この事であった。

Sunday, February 7, 2010

小説 五十六歳の青春 第8回

「私は青春の真っ只中、五十六歳の青春の真っ只中」
 少年の愛を受けながら由香里は心の底でこう叫んでいた。
「生きていてよかった。離婚してからの日々は地獄だった」
 辛かった日々を振り返って、由香里は、
「若い男に愛される喜び」
 をかみしめていたのである。
少年の口が由香里の敏感な部分を愛撫し始めると由香里の口から、
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」
 と激しいあえぎ声が洩れた。
「私もしてあげる」
 由香里は少年の敏感な部分を口で愛撫した。
「ウーン、スゴイ。ウーン、ウーン・・・・・」
 少年は身をよじって喜んだ。
由香里と少年の愛は終りそうもなかった。 

Friday, February 5, 2010

小説 五十六歳の青春 第7回

 由香里は少年との愛の儀式に酔っていた。
「少年のみずみずしい体と心」
 が由香里を酔わせるのだった。少年と愛し合っていると、
「遠い昔に失ってしまった若さ」
 が蘇ってくるような気がしていた。
「五十六歳の青春だ、いや性春か」
 由香里は自分にこう言い聞かせた。
「少年に抱かれていると、いや抱いていると喜びがわきあがってくる。癖になりそう」
 由香里は喜びに浸っていた。
少年の敏感なところを口で愛撫すると、少年はまた身をよじって喜ぶのだった。
「ああいい、ああいい、ああいい、ああいい、・・・」
 この声を聞いて由香里はまた興奮して少年を愛撫した。
「ウ、う、う、う、う、・・・・・」
 由香里の口からは激しいうめき声が洩れていた。

Thursday, February 4, 2010

五十六歳の青春 第6回

 由香里は声をかけてきた若い男とホテルの門をくぐった。
お互いに全裸になると、この若い男の裸体がまぶしく由香里の目に映るのだった。
「十八才くらい」
「うんそんなとこ」
 二人は口づけを交わしてベッドに横たわった。久しぶりに由香里の心と体はめらめらと燃えていた。
この若い男の敏感なところを口でしゃぶっていると、自分の敏感な部分も激しく潤うのだった。
「うん、うん、うんうーん、うーん」
 うなるような声が由香里の口から発せられた。
少年の口からも、
「ああいい、ああいい、気持ちいい」
 と甘酸っぱい声があふれ出ている。その声がまた由香里の心と体を刺激するのだった。
「うーん、うーん、うーん」
「いい、いい、」
 この二つの声が何度も繰り返されるのだった。

Wednesday, February 3, 2010

小説 五十六歳の青春 第5回

「誰か私を愛してくれないかなあ」
 由香里は自室でワインを飲みながらこう呟いた。
「離婚したら素晴らしい自分の時代が来ると思ったのに」
 離婚して由香里に訪れたものは、
「恐ろしいまでの孤独」
 だった。
「何とかしないと」
 このまずい流れを変えようとすればするほど、由香里はまずい方向に進んで行くのだった。
「ああ、男が欲しい」
 ほろ酔いになった由香里はこう叫んだが、どうする事も出来なかった。
どうしても寝れない由香里は、また夜の街へ出かけて行き、
「ボーイハント」
 を試みるがうまく行かない。 
あてもなく歩いていると、
「おばさん、おれが相手をしてあげてもいいよ」
 と声をかけてくる男性がいた。顔を見るとまだ十代のようである。

Tuesday, February 2, 2010

小説 五十六歳の青春 第四回

 週末にスナックに行って由香里は七十歳くらいの男性と知り合いになった。会話の途中で由香里の事を、
「おねえさん、おねえさん」
 と呼んでくれた時には、不覚にも涙がこぼれたのだった。久しぶりにその言葉を言ってもらったからである。
「うれしい」
 由香里は本音を吐露した。やがて二人は夜の恋人達の宿へと足を勧めた。
この七十歳の男性は由香里を必死で愛してくれて、由香里も必死で、
「うっふん、うっふん・・・・・」
 とムードを出したが、喜びを得る事は出来なかった。
「心のもやもや」
 を晴らす事はできなかったのだ。
「私の歳ではもう恋をささやく事は出来ないのか」
「そんな事はない」
 自問自答の日々が続くのである。

Monday, February 1, 2010

小説 五十六歳の青春 第三回

 由香里は長年初体験の相手に再会したいと思っていた。初体験の相手がいつも心の中に宿っていたのである。
「あの人だけは私の気持ちを分かってくれるはず」
 こう思っていた。
だが連絡を取ってみると、
「何で連絡して来るんだ。おれの生活をぶち壊す気か」
 と烈火のごとく怒るのだった。
「ああ、思い出は思い出として残しておこう。過去を振り返ってはだめだ。厳しい現実を見つめて生きないと」
 由香里は頭ではこう自分自身を納得させても、
「素晴らしい恋をしたい」
 この思いが失せる事はなかった。
だが、
「この人はすばらしい」
 と思う人は必ず奥さんや恋人がいるという、厳しい現実が由香里を苦しめるのである。 

Sunday, January 31, 2010

小説 五十六歳の青春 第二回

 由香里は五十五歳で離婚して一年以上が過ぎた。最近では、
「あまりの寂しさに夜寝れなくなっていた」 
 この厳しい現実と戦っていたのである。
「誰か私を愛して」
 こう叫んでみても誰も相手にしてくれる男性はいなかった。
「ボーイハントでもするか」
 街に出て男を漁ってみたりもしたが、
「おばちゃん、いい加減にしなよ。見苦しいよ」
 とたしなめられる始末だった。
 そして、驚いた事に、
「この人(男性)だけは私の気持ちを分かってくれる」
 こう思いこんでいた男性に、
「すべて冷たくされた」
 この厳しい現実に直面していたのである。
「これが五十六歳の現実か」
 日に日に由香里の酒量は増えて行くのだった。

Saturday, January 30, 2010

小説 五十六歳の青春 第一回

「誰か私を愛して」
 泣きながらは由香里は街をさまよい歩いた。だが、だれも由香里に優しい言葉をかけてくれる者はいなかった。
「私の人生も終わりか」
 こう思ったら涙が溢れて止まらなくなった。
高校時代の同級生で初体験の相手に携帯電話で連絡をとったら、
「いいかげんにしろ」
 と怒鳴られてしまった。
由香里は熟年離婚をして、一年が過ぎた。愛のない結婚生活にくたぶれ果てて、
「離婚をしたら素晴らしい生活が始まる」
 と夢を描いていた。
だが、
「夢のような素晴らしい生活」
 どころか、
「恐ろしいまでの孤独」
 が由香里の全身を襲ってきたのであった。
「誰か何とかして」
 激しい思いが由香里の心の底にあったが、回りの人は、
「おばさんが酔っ払っている」
 としか見ていなかった。